東日本巨大地震の中、子供が生まれた

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IMG_2364.JPG3/10(木)
僕は、いつも通り仕事が遅くなり、
あー。今日も仕事片付かなかったぁと。
夜中の1時くらいに帰宅してきた。

そして、家で11(金)に使う仕事の資料作成をしていた。

その資料が終わったのは3時くらいだろうか。
妻が起きてきて眠れないという。

前駆陣痛 -陣痛の始まり-
陣痛の間隔が6分くらいになってきたら
病院に連絡してくれということだったので
陣痛の間隔をみる。

4時36分
病院に電話をして
荷物をまとめ妻を車に乗せ病院へ向かう。

出産予定日 3/12
1日しかずれていないし
今までの経過の流れからしても
すべてが平均的に進んでいて何も問題ないって先生が言ってたので
分娩も思い通りに進んで赤ちゃん生まれるのかなと思ってた。

病院について
さっそく分娩準備室に入る。
妻のお腹に、赤ちゃんの心拍数を測るものと
陣痛の波を確認するものをつけて様子みが始まる。

眠い。
僕も妻も眠かった。

数分おきに来る陣痛
腰をさすったり、肛門を押さえたりの繰り返し。

妻の叫び声
痛そうな悲鳴が僕の心を苦しめる
長い1日が始まる。

朝ご飯の時間
黒糖パンと牛乳、野菜炒めとかがでてくる。
この段階では妻もまだまともに話せていた状態。

朝ごはんを食べて2時間くらいたった頃だったか
陣痛が来たと同時に気持ち悪いと…
すぐさま、ビニール袋用意して吐いた。

そう。助産師さんって
初めの方、あまり手助けしてくれない。
妻の子宮口が3cmで10cmになると分娩室行きになるんだが
なかなか開かないから、1時間起きに助産師さんが
状況確認に来るんだけど
それくらいで、常に助産師さんが
フォローしてくれるわけではない。
僕が対応しなければならない。

時間が進むにつれ、
叫び声が大きくなっていく。

12時くらいまでは、頻繁に陣痛がきては
ものすごい叫び声の繰り返し

10時間を越えているのに
助産師さんの内診からでる答えは
もうすこしですねぇ。

早くて15時でしょうか。
遅くても18時くらいかなーと。

3分位に一度くる陣痛
妻もつかれきって
陣痛が終わると同時にすぐに寝ている様子

後何回陣痛がきたら、15時になるかなーとか
妻の叫び声に、疲労してる割にすすまないなぁ。
と不安ばかり

その後ベッドから、分娩を促す椅子に移動。肘掛がついているやつ。

いたーーーーい
もういい
やぁだー
もう切っちゃって。
いつになったら生まれるのと

弱弱しいセリフ
こんなときに僕の母到着。
とても心強かった。

そして午後2時46分くらい
ものすごい地震が発生
かなり重そうなキャビネットが
何センチくらいスライドしたのか
スライドしてきた!!

また、ベッドやら計測器やら、棚やらが揺れる揺れる
助産師達がものすごい、速さで緊急対応をしている。
旦那さんヘルメット被ってください。
母の頭にビーズクッションを妻には布団をかぶせる。

そして計測器と棚を手で押さえ、
ベッドは足で押さえる。

病院のエレベータは止まり
緊急安全対策委員会の設置をいたしました。
すみやかに避難所に移動してくださいなどと
というアナウンス。

そんな中でも妻は陣痛のたびに叫び続ける。
その叫びと余震が重なりあったとき
もしかしてコレは妻が起こしている地震なのか
と錯覚してしまうこともあった。

これで男の子が生まれてきたら
名前を大地にしようと思った。

地震はまったく止む気配もなく
この分娩待機室は7階でとても揺れる。
だけど一番上の階だから、もし崩れても
生きれるかと信じてみんな移動せずに
続けた。

そんな中で、他の妊婦の話なのか
外がすごいドタバタしていた。
エレベータ動かない
どうする
タンカーもってこいタンカー
ここで悩んでいてもしょうがないだろ!
と先生達の声

妊婦の母親なのか
大丈夫なんですか?
お願いしますお願いします。
と母親が助けを頼んでいる声。

全助産師達がそっちにむかったのか
こっちには誰もいなくなった。

病院の外では、
ウゥゥーーーーーン
サイレンの音がたくさん聞こえる。

手持ちのipodtouchでツイッターを確認
お台場から黒い雲が立ち上っていると。
もしかして関東大震災がきたのかと思った。
病院だから地震に強くて、
病院の外ではかなりの建物が崩れているんじゃないか
という妄想。

計測機などを抑えつつもツイッターを見る。
岩手でマグニチュード8.8
この情報がつかめたところでネットがつながらなくなる。

色々な先生や助産師さん達が
妻のところに来て
大丈夫ですよ!私達が守りますからと
こんな時でもあーいう笑顔がとても
うれしくて泣きそうなった。

その一方で、妻の疲れがピークに
もうだめと細々とした声。

一度子宮口が7センチまで開いたものも
5センチまで戻ってしまう。

その後、陣痛のペースが下がってくる
陣痛時も
以前ほどの
いたーーーーい
うーーーー
とかほどのパワーがなくなり
弱弱しい感じになっていく。

地震
陣痛
絶望しか
なかった。

陣痛終わりにジュースを飲ませたりするが
あまり飲まない。

院内では緊急地震放送が何度も繰り返される。

妻は弱り
子供も出ない
余震に恐怖を感じつつ
いつ終わりを迎えるのか?

先ほどから
あまり進行が見られませんので
子宮筋弛緩剤
ブドウ糖投与
して経過をまた見ていくと

1時間経過後してもあまり状況はかわらない
10 20 30 40 と
ブドウ糖うってるやつの数値を上げられていた。

妻の口からは
もうでないよー
とネガティブ発言

僕は、そんな妻をみていたくなかった。
助産師さんが毎回のように言う。
陣痛きたら、力まずに呼吸を吐くことを妻に向けていう。
ピーク過ぎたらリラックスさせる
陣痛治まりの合間に無理やりでもジュースの補給

を繰り返していくと、
また、計測機によい数字が出ていていた。

toco ピーク時は100を越えてて
弱ってたときは30位までしかいってなかったんだけど
また50を越える数字がでてきたのと
陣痛が来るスピードが上がってきていた。

そんな挑戦をくりかえしつつ
夜の19時くらいかな
子宮口10センチはいかないけど9センチになった段階で
分娩室に移動した。

余震も続いているし
準備もあるから、早めにということで移動。

分娩室に移動しただけで
めっちゃ泣きそうになった。
最後だ頑張れと。
ついにココまで来たんだよと。

また、ココからも長かった。
妻の口には酸素マスク
点滴もして
変な器具突っ込まれたりするたびに妻が叫ぶ
僕は頭側にいるために何をされているのかまでわからない。

いくら踏ん張ってもでてこない。
破水はした。
びしゃーと何かが飛び散ってた。

いいですよー
その調子ですよー
といわれるが
何度やっても出てこない。
妻は陣痛が来るたびに
思いっきり踏ん張る
その繰り返し。

また、大きめの地震が来るかもしれないという速報が
伝えられる。

妻の体力+赤ちゃんの心拍数も下がってきているので
赤ちゃんの頭を器具で挟んで出すことにしますねと
なぞの器具登場

悲痛ばかり

会陰切開というものもやるということで
妻のあそこが切られることに。
何箇所切られたんだろう。
肛門括約筋も切られたと最後知った。

しまいには
たくさんの助産師+先生3人かな登場して
一人は妻の上にのって両腕グーでお腹をグイグイおす人と
赤ちゃんの頭を挟み引っ張り出す人
麻酔する人

怖くてたまらなかったです。
で8時8分に無事に出てきたとき
初めは泣かなくて大丈夫かと思ったが
その後、泣き声を聞くことができました。

妻が生んだあと痛かったぁーーーーと
もう絶対やだーーと
すごい勢いで泣いてた。
こっちが泣きそうだったのに
僕がないたらダメだろと踏ん張った。
頑張ったねと。

生まれた後、
妻のあそこを戻す手術中に
色々先生に聞いたところ

妻の産道がとても狭いこと
骨盤がかなり小さいということ
赤ちゃんの頭がとても立派だったこと

が重なって難産だったと伝えられる。
でも無事に五体満足で生まれてきてくれてよかった。

一時は地震でどうなるかと思ったし。
最後は最後で妻、子供ともに大丈夫なのかと思った。

いやー本当によかった。
こんなこともう一生ないとおもう。

まるで自分が映画の世界に入ってしまったかのような
現実だった。

もし、陣痛が昼間にきていたら
僕は会社にいて
しかも電車で家に帰れない上に
電話もつながらないという最悪なパターンになっていただろう。
そういう意味ではホントによかった。

この日のことを一生忘れないと思う。
そして、こんな日に生まれた子供
日本は今絶望モードだよ。
子供が大きくなってきた時にこういうだろう。

お前が生まれた時
日本ではすごいことが起こってたんだ。
そんな中、お母さんもお父さんもおばあちゃんも
必死になってお前を生むために頑張ったんだよ。
よく生まれてきてくれたよと。

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