ポケラボ卒業

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本日でポケラボを退職することにいたしました。
最後に私のポケラボでの思い出を書いて締めさせていただきます。

私は2009年春、まだポケラボが茅場町のマンションの1室の時代に(当時代表の後藤さんと佐々木さんが住み込みの時)アルバイトとして月15万円上限でジョインしました。(15万円以上は出せない条件)
基をたどると後藤さんがまだ日大芸術学部の映像専攻で自分がCMの映像編集の仕事をしていた時に”mixiの起業家コミュニティー”で知り合ったのがきっかけでした。

mixi 起業仲間探そうコミュニティ

私はハリウッド(VFX)に行くこと(映像業界)を目標に学生時代を過ごし社会人になりリーマンショックの時期、アメリカビザの発行が出来ないということになり、向こうに行けるチャンスを失い、その時にYoutubeとかニコ動が流行ってて、映像を一方的に視聴者に見せるのもいいけどインタラクティブでユーザーと双方向にやりとりするのは面白そうって思ってFlashを知り何社か綱渡りした挙句にポケラボに行きつきました。

FLASH 中村勇吾さんに憧れをもっていた

 

ポケラボ入社後は、もともと少しできたデザインとFlashをメインに企画/開発/運営と色々な事をやってました。毎日サービス創りに熱中してました。辛かったけど今思うとあの時が一番楽しかったです。自らが会社の歯車をガシガシ回している感じが身を持って体験できた事が大きいです。

初期 侍キングダム

私にとってもっともポケラボで印象に残っている思い出を5つ挙げさせていただきます。

 

1.ポケラボ創業期に辞めずにいたこと

私は、ポケラボにジョインしてすぐに現在の妻と結婚する事が決めていた為、ポケラボで働きつつも転職活動をしていました。当時24歳で月15万円(手取りはもっと少ない)。家賃9万8000円の中野のアパートに住んでいて毎月貯金を崩していく生活をしていました。当時、チームラボ(サグールを打ち出してた頃)、カカクコムサイバード(細木数子の占い)など、何社か面接に行ってて、年収ベースでは抜群に高かったサイバードに内定をもらいました。ポケラボはヤリガイはあったけど結婚を考えると転職しないとなって悩んでる時に当時のポケラボ代表2名(後藤・佐々木)と投資家2名(本間さん・和田さん)の計4名がいる居酒屋で猛烈に口説かれた事は今でも忘れません。あれは確実に私の人生の岐路でした。後藤さんからポケラボにはエンジェル投資家(創業間もない企業に対し資金を供給する富裕な個人のこと)がいてって話を聞いた時に何?って感じで正直、怪しいイメージをもっていました。2009年頃って、今ほどスタートアップというのに注目はなかったと思います。少なからず私には知らなかった世界でした。結果的には運営しているサービスがうなぎ登りに成長していたのとユーザーさんからの熱いラブコールで、ここにいたいという思いも強くあり妻からの強い反対に対しても、何年かはココでやろうと会社に残った事がのちの成功体験につながったので超貴重な経験でした。

https://s2works.net/blog/old_blog/2009/07/samurai.html
↑ガラケーの勝手サイトで運営してた頃のサービス。当時、アプリの問い合わせでGmailを使っていたんですが、バグ対応ですごい件数を対応していたら、Gmailの1日のメール送信上限を超えましたとか言われメールが送れなかった事もありました。売り上げの多くはリワード広告(webmoney,モビル,Adways,smart-C,モバ8)による売り上げで、その多くが「ルナルナ」であったり「グリー」「コミックシーモア」といったサービスへの流し込みでした。

 

2.初のソーシャルアプリプロデュース作品「やきゅとも!」

本当にタイミングが良かったに尽きる一本です。mixiモバイルオープンプラットフォームでもっとも熱い漢による漢のための「熱血硬派拳塾」というサービスを立ち上げていて、その後、モバゲーオープン時に「サムライ戦記」を出し、サーバーダウンなども経験した後に出した2本目。当時は同時接続数が半端なく多かったのと、ガラケーサービスだったということもあり、デザインよりもサーバーを落とさない方が重要視されていました。

正直リリース前にバンナムさんが「ファミスタ」を出してきたのでリリース前はドキドキでした。結果、DAU最高60万人、月商1億円と当時では、なかなかのインパクトを与えられた作品になったのではないでしょうか。当時のゲームは時間短縮系課金が主流だったんですが私はBBMカード集め(プロ野球のカード)が昔から好きで、カードダスみたいな要素を入れたいと思ってガチャみたいな仕組みも入れたのがうまく刺さりました。

やきゅともは企画から開発・デザイン・演出全て自分で作ったと当時驚かれましたが、実際には開発している隣で毎日デバッグしてくれた子や大量のPVをこなす為にPHPのプログラムで、JOINは絶対使ってはダメとか、しっかりDBのテーブルにインデックス貼られているかなど徹底的にチェックしてくれたインフラの方や自分のやりたい事が本当にユーザーに求められているのかを企画前にジャッジしてくれた投資家。アカウントバン対応やバグ出しまくりでユーザーさんからの苦情に全力で対応してくれたカスタマーサポートの方々、いろんな人が助けてくれてできた作品だと思います。当時の社員数は約15名と少ない社員数ではあったもののよくどうにかなってたなとおもうばかりです。何よりもいたメンツとタイミングが良かったとしか言えません。自分の好きな事を好きなだけ突っ込んで今のアプリではできないくらいぶっ飛んだ施策をバンバン入れてたと思います。正直完全自己満足のオナニーアプリだったと思います。

徹底されたクエリレビュー
徹底されたクエリレビュー

 

その後、大ヒット2本を生み出し、さらなる成長をということで、サッカーをモチーフにしたサカとも!やゴルとも!などの開発計画をたてる。当時珍しい大型出資を得て大量生産する計画の元、大量人材採用するも僕ら含めたメドルマネージメントがまるで機能せず大変苦い思いを経験しました。

やきゅとも!続編だすも全くうまくいかなかった。。
DLEと一緒に組んで、やきゅとも!アニメ化

成功には環境なども大きく影響されていて再現性ないのでなかなか難しいことなのではないかと思っていますが、今となれば、ロックマンやマリオのように外れてもやり続けることでIPとして育つという可能性もあったのではないかと思います。

https://s2works.net/blog/blog/2012/05/yakyutomo-end.htmlhttp://togetter.com/li/307938
↑当時絵師買い叩きと言われてブログがめっちゃ炎上しちゃった事もありました。

↑DLEさんと天気予報枠をジャックした時の映像。今となってはいい思い出です。

 

私はその後、プロダクトサイドからクリエイティブという部署を統括することになったのですが果たしてこの判断が、のちの会社にとって良かったのだろうかとも今では思います。プロダクト企画をしていたらどうなっていたのかと思うこと多々。

3.初のシリコンバレー

ポケラボは、大型出資を得る為、シリコンバレーの投資会社DCMにプレゼン行くことになりました。この時に味わった経験以上に感動した出来事は未だありません。私は昔から頭の悪さにコンプレックスがありまして、そんな自分でもやればできるんだとこの時に思いました。当時、共同創業者の佐々木さんが言ってたのですが、「我々ができてみんなに出来ないわけがない。」みたいな事言ってたんです。
本当に自分はそうだなと思っていて、自分みたいなクズ人間でもできたんだから素養のある人はもっと簡単にできるんではないかって。。で、当時セガの代表をされていた臼井さんとのMTGが偶然あり、そこで臼井さんが「うらやましくて仕方がない。なんでうちにはできないのか」、「知らず知らずのうちにコアゲーマー向けのゲームを作ってしまってきたのかもしれない」「こう言った若い人たちが日本だけに留まらずに世界へにも発信していってほしい」そういっていただけた事にとても衝撃と感銘を受けております。

数々のスタートアップが生まれたBFM(ブレックファストミーティング)のメッカ

ポケラボというスタートアップの会社として即断即決で少人数で開発を進められていた事にとても驚かれていた事が印象に残っています。

当時書いたブログ
https://s2works.net/blog/blog/2010/07/social.html

 

4.ジェットコースター経営

今まで何度も会社が傾いたり、調子が良かったりを繰り返してきました。売れれば調子乗って、売れないと組織の不満ばかり。いつもギリギリの所で這い上がるのがポケラボです。

スマホマーケットの黎明期にうまくシフトさせた

そんな中で私が印象に残っているのは、「イケてる会社と自分達の会社においての差は何なのか?」21世紀を代表する会社を目指すにあたって、我々がしなければいけない事は何か?

そういった話を当時、投資家であった本間さんからゲキ詰めされていた時があったんです。この「差」を知るということが私の中で大きな発見でもありました。
結果、私はクリエイティブという部署担当になり他社の演出よりポケラボは何がイケてないのかという点を深く考えるようになりました。自分達が目指すゴールに行くためにすべき事、強くなるために足りない事は何なのか?を考えること。

http://goo.gl/F8Tmct
↑投資家 本間さんのブログ

当時はドラゴンボール理論とか言ってました。生き残ったやつだけが格段にパワーアップをする。だけど、パワーアップするとすぐにすごい強敵が新たに出てきちゃうんです。だから常に挑戦し続けなければいけない。ポケラボは常にそんな環境だったと思います。辛い時期は長く、調子良い時期は短い。だけどもその分だけ、達成した時の喜びも大きいモノだと思います。

 

5.グリーファミリー化


グリーグループになった事でできる事が増えたし、自分自身に幅を持つ事ができたと感じます。セミナーでの登壇やチーム連携を通して得た新しい人との出会いや知識。ポケラボにいるだけでは気づかなかった事の発見。
正直、まだまだポケラボもグリーももっと連携できる事たくさんあると思います。ポケラボ単体で考えるのではなくグループ全体でどう市場に立ち向かっていくかという視点が今は大事なのではないかと思います。スラムダンクではないですが、まずは1本!1本決めていこう!今回、私は辞めますが私にできる事があれば継続してご協力していきたいと思っております。

 

最後に私が大事だなと思っている事は
「自分はツイテル」「どうにかなる」「人生一度しかない」と思う事。
世の中、“アクション”と”タイミング”次第で最後は”運”だと思ってます。

などなど辛い事や楽しい事も沢山ありました。
本当にポケラボという会社に出逢えた事に感謝しています。
自分の人生において最も成長することができた会社と胸張っていえます。

というわけで私はポケラボからは離れますが、陰ながら応援させていただきます。
ポケラボマインドは忘れずに次の場所でハチャメチャ暴れてきたいと思います。
人生一度だけなので死ぬ時にどうなっていたいのかを大切にして挑戦していきたいと思います。それでは本当に今までありがとうございました。

「皆さん十人十色のユニークな武器をもち皆でリスペクトしあい切磋琢磨しながらチャレンジしてサプライズを生み出す」
できれば、いつかポケラボIPを生み出して欲しいです。

いつも仕掛け人であれ。
クリエイティブ部
鈴木 匠太

 

番外編の思い出

・よく徹夜して、銭湯に行っては戻って作業の日々。
・各プロダクトのディレクターと居酒屋でイベント案について自由な発想で企画案話して実装したりしてたのは楽しかったです。
・今の嫁のお父さんに婚約挨拶をしに行った日にやきゅとも!のアラートメールきて急遽対応した事
・チートユーザーのアカウントバン対応でDBのデータを論理削除してしまい問い合わせメールや電話が大量にきて対応したこと
・全然ヒットが出なくて人が辞めまくった時代(負のログインボーナス時代)
やきゅとも!の絵師を買い叩いたとしてブログ炎上した事
・自チームのメンバーがサイゲにどんどん引き抜かれていった事
・プロダクト側からFlashチームのリーダーに就任した時にFlashチームが作っていた演出がクソ重くてテンポが悪いのを直さないメンバーに対して腹が立って、自分が徹夜して直した事があったのが、その後メンバーとの距離を近づける事ができ最高のチームにできた事
・現場100人vs社長の縮図を見た事
・コンプガチャ問題のど真ん中に入れた事
・その他色々