人生100年時代において、生きるとは?


人生100年時代において、生きるとは?

妻の祖母が亡くなられて妻と子ども達と通夜から葬儀、初七日と参列してきたのですが、私自身こういった体験を数多く経験したことがないので、色々思うことがありましたので、今回はその事について個人的な主観でただツラツラと書いてみようと思います。

■おおまかなまとめ
1.人生100年時代において、生きるとは?
2.仏教って想像的だ。
3.最後に

人生100年時代において、生きるとは?

お祖母様は、94歳と大変長生きされてきました。年始にも一度お会いしてるのですが、足腰は悪くしてるものの、まだまだ意識もしっかりしていてまさかなくなるとは思ってもいませんでした。お話していると、長く生きすぎた、周りの友達が少なくなった、息子さん夫婦に介護の苦労をさせてるなどのボヤキを多く聴いてました。今回改めて考えさせられたのは、何のために生きているのだろうかということ。

子孫繁栄で考えるのならば、子どもを自立させるを一つのゴールとおけます。その場合、100年も必要はないかと思います。生物学的にみても、オスは大抵生殖後、すぐに亡くなったりしますよね。人間は長生きです。自己実現目標があれば、それを生きがいとして日々奮闘するでしょう。
女性の生き方も多様化しており、働く方もいれば家庭に専念する方もおられます。我が子が大きくなってまた新しい家庭を作り上げた後、手助けをするという事もよく見受けられます。仕事にせよ。家庭にせよ。どちらにしても生きる目的を見つけるというのはとても大事ですね。レンガ職人の話ではないですが、
ただただとりあえず毎日を過ごすって自分にとっても辛いことです。

■レンガ職人の話

世界中をまわっている旅人が、ある町外れの一本道を歩いていると、一人の男が道の脇で難しい顔をしてレンガを積んでいた。旅人はその男のそばに立ち止まって、
「ここでいったい何をしているのですか?」
と尋ねた。
「何って、見ればわかるだろう。レンガ積みに決まっているだろ。朝から晩まで、俺はここでレンガを積まなきゃいけないのさ。あんた達にはわからないだろうけど、暑い日も寒い日も、風の強い日も、日がな一日レンガ積みさ。腰は痛くなるし、手はこのとおり」
男は自らのひび割れた汚れた両手を差し出して見せた。
「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、まったくついてないね。もっと気楽にやっている奴らがいっぱいいるというのに・・・」
旅人は、その男に慰めの言葉を残して、歩き続けた。
もう少し歩くと、一生懸命レンガを積んでいる別の男に出会った。先ほどの男のように、辛そうには見えなかった。旅人は尋ねた。
「ここでいったい何をしているのですか?」
「俺はね、ここで大きな壁を作っているんだよ。これが俺の仕事でね。」
「大変ですね」
旅人はいたわりの言葉をかけた。
「なんてことはないよ。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。ここでは、家族を養っていく仕事を見つけるのが大変なんだ。俺なんて、ここでこうやって仕事があるから家族全員が食べいくことに困らない。大変だなんていっていたら、バチがあたるよ」
旅人は、男に励ましの言葉を残して、歩き続けた。
また、もう少し歩くと、別の男が活き活きと楽しそうにレンガを積んでいるのに出くわした。
「ここでいったい何をしているのですか?」
旅人は興味深く尋ねた。
「ああ、俺達のことかい?俺たちは、歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」
「大変ですね」
旅人はいたわりの言葉をかけた。
「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだぜ!素晴らしいだろう!」
旅人は、その男にお礼の言葉を残して、また元気いっぱいに歩き続けた。

(引用元)

3人のレンガ職人への「何をしているか」の問いかけに対する答えから、次のようなことが分かります。
1番目のレンガ職人:「レンガ積みに決まっているだろ」→特に目的なし
2番目のレンガ職人:「この仕事のおかげで俺は家族を養っていける」→生活費を稼ぐのが目的
3番目のレンガ職人:「歴史に残る偉大な大聖堂を造っている」→後世に残る事業に加わり、世の中に貢献することが目的

ゲームに例えるなら、ドラゴンクエストで全クリした後の世界で何をするかに近いものがあるのではないでしょうか。生きる目的。使命。

一つに、お祖母様がこの世に生まれた事で、今の妻と巡りあえた。
その上でも未来へ紡ぐ為の子孫繁栄は生きる上での一つのゴール。次に家庭の安全確保。動物界でも同じですよね。次に自己実現の確立。生きがいというのを見つける重要性があるなと感じました。

仏教って想像的だ

臨済宗建長寺派のお寺で葬儀だったのですが、住職が一つ一つ丁寧に意味を説明してくださりました。
30数年も生きてきましたが、今までなんとなくふんわりとで知らないことだらけでした。
葬儀は、仏の世界へ故人を引導する為の儀式。お経を唱えて観音様へ助けを説いたりする。
この世からあの世へ出発する。仏教では、人が亡くなるとあの世で7日毎に極楽浄土へ行けるかの裁判が行われ、その最後の判決の日が49日目となる。
こういったものをはじめに唱えた人は何をもってこうだと説明したのか。根拠の組み立て方が気になってしまう。また、どのように広められたかっていうのがとても興味深い。
人間は本当に想像的な生き物だと思う。宗教観もそうですし、お化けといったものもそうですし。誰かが言い伝えそれを信じるも人間。

話が変わりますが、西洋医学と東洋医学でも考え方が違う。宗教もそれぞれで思想が異なる。
今、機械学習、AIといったものが出てきて、また新たな医学。ビッグデータを扱った機械医療みたいなものがでてくるとする。そういった流れから、宗教観みたいなものもどこかで大きな変革期というものがやってくるのか。さすがに昔からの言い伝えられてきた事は覆すことはできないのか。。。

さいごに

生きる意味。こんなものがありました。


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