People around me -僕の身の回りの人達-
People around me -僕の身の回りの人達-
今日は、自分の今までを振り返って見たいと思います。
挫折・挑戦を繰り返し続けてきた僕の話です。
小学生の低学年の時は、JRで働きたいと思うほど、電車好きだった。
方眼紙を買って、電車の模型を作って豆電球をはめてみたり、
身の回りの友達の人んちに電車の模型をみにいったり。
結構、ヘタレだったと思います。
すぐに泣くし、友達以外とはあまり話さないシャイボーイ。
その分だけ、妄想は日々頭の中に広がっていたと思います。
小学生の時は、勝手に電車で旅立ち、迷子になり警察にお世話になったり、
近所にいたのらの仔猫を育てようと秘密基地で育てようとして育て方誤って殺しかけてしまったり、
秘密基地を放火しそうになったこともある。子供が火遊びしちゃだめよ。
とても常識知らずでした。親には大変迷惑かけました。今でも後悔しています。
そして、僕は、野球選手になりたかった。
西武球場で見たイチロー。初めての野球観戦。浴びる歓声。
かっこよかった。僕も大きくなったらプロ野球選手になるんだ。
そんな気持ちが生まれて数年後、
プロ野球選手の写真撮影、サイン集めに友達と一緒にしまくっていた。
そんな夢もどこにやら、いつの間にか、
3DCGデザイナー? 映像監督? VFXアーティスト?
アートディレクター? Flasher? プログラマー?デザイナー?
道はズレ、今は携帯ゲームの企画から制作・運営をしている身になった。
色々な道を経験してきた。
いたずら書きの好きな僕は、
教科書に書いた落書きを友達に見せるのが面白かった。
そんなちっぽけなところから広告を作りたいという気持ちが生まれたのか、
みんなに伝えたい。みんなに笑って欲しいとかいう思いが生まれたのかも。
そういえば、当時、ラジオとかVジャンプとかに投稿してたりして、
雑誌に掲載とかラジオで片思いの詩とか流れたなぁ。
そして、高校生のときにパソコンを買い、photoshop,illustrator,shadeを触っていた。
高校卒業時には、渋谷などの駅前に張られている大きな街頭ポスターを作るのが夢になっていた。
他にも、ビジュアル系インディーズバンドとかインディーズパンクバンドとか
友達の影響でかなりはまり込んでいた。
電子ドラムやギター、ベースを買うもこっちは直ぐに挫折した。
高校の時に寿司屋でバイトしていて、
寿司屋の広告とか作った。
初めての彼女も高校の時に出来た。
しかも遠距離恋愛。相手は茨城さ。
会う場所は葛西臨海公園。
月1で会っていたな。メールは1日100通は超えてたと思う。
今思えばよくやっていたなぁと思う。色々あったな。
この部分についてはあまり書けないな。
今の奥さんに見られて変な気持ちにさせてもいけないから。
まぁそんなこともありーの。かつあげされたこともありーの。
ライブ帰りに電車のキセルしたら、駅前でたまっていた不良達に絡まれて警察に行った事もあったなぁ。
良いこともあれば悪い事もある。色々な経験をしたな。
そして高校卒業後は、映像の学校に入り、
3DCGや映像制作に明け暮れ
毎日ほとんど終電帰りの勢いでやっていた。
すごい楽しかった。仲間達と刺激しあい。
いつも面白い映像を作りたい。そんなことばかり考えていた。
マトリックスが流行れば、僕らも同じことをした。
土日は通信の短大に通い、専門卒業後にムサビの編入を考えていた。
アルバイトでは、学校帰りに出会い系サイトのサクラをして朝までやったり
ハチャメチャな生活を送っていたと思う。
そんで学校では何でも率先してやっていたからか、
映像の監督をやったり、ファッションショーのVJをやらしてもらったり、
キャンプいったり、撮影行ったり、頭文字Dの3DCG制作、色々経験させていただいた。
夢はハリウッドで映画を合成する仕事。
そんな夢を掲げ、僕は学校案内誌に載った。
しかし現実はしていない。
その後は例の映像監督から大学に編入するくらいなら早く現場に出ろ。
そんな事を言われ、悩んだあげく現場に出る事になった。
インターンシップで、ポスプロで映像合成の仕事に就く。
そのポスプロではハリウッドでも使用されているインフェルノという機材があり、
ハリウッドと同様の環境で仕事ができる。毎日キツーイ仕事が待っていた。
インターンシップだろうが映像業界はそんなに甘い現場ではない。
徹夜を何回繰り返したことだろうか?
同期入社は二人いて、一人は京都大学を合格できたレベルの持ち主のめっちゃ頭が切れる。
その一方、僕はマイペースで少しのろい。
必死にやった。超怖い先輩もいて、何度も怒鳴られ泣き。
同期と二人でご飯行った際には先輩の愚痴の言い合い。
実際にポスプロの編集現場は二人一組で仕事をするんですが、
一人はプロで一人はアシスタントということで
アシスタントからスタートする。だから同期といっても一緒に仕事をすることはない。
アシスタントはプロが実際に映像の合成の作業をする一方で
映像内で使う文字素材を準備したり、テープチェンジをしたり。
クライアントさんや監督、制作さんへの対応などするんですが、
怖い先輩のアシスタントで付いた時はもう超ドキドキですよ。
ちょっとしたことで激が飛んできます。
おい!!!!!!!!何してんだ!!!!!!!!
いつもビビリながら仕事をしていました。
でも同期には負けたくないそんなライバル心はお互いにありました。
仕事終わり、よく先輩に飲みに誘われた。
これも業界がそういうのが当たり前なのでしょう。
上が下をおごる。そう教えられました。
先輩達の後輩への思いというのもすごい感じました。
先輩達も同じ環境で育ってきたから、その厳しい波を乗り越えれば
立派に成長できるんだということでしょう。
しかし、飲みの席では、大抵ナンパを命じられます。
ナンパが出来なければ、戻ってこなくていい。
そんなノリです。
何度も何度もしましたよ。雨の日に外で捕まえられるまで戻ってこなくて良い。
そんなこともありました。実際、僕にはそんな技術はございません。
大変でした。
でもこのナンパにおいて一つ学んだことがあります。
よく出来る先輩の一人がナンパしてくるといったらすぐに
女の子が・・・
しかもその先輩はカッコいいという感じでもなく。いたって普通。
やはりナンパできる人は仕事も出来るんだ。そんな考えが僕に生まれました。
実際にその人は仕事が出来るし、お客さんからの指名も多くパナソニックとか大きなCMを多くやっていました。
やはりトーク力・説得させる力コレは大事なんだな。
この部分を鍛えさせるためにやらせていたのかも知れない。
それが真実なら、先輩達はかなりすごい。
実際、CMの現場では、監督を納得させるものを作らなければならないし、
クライアントも納得させなければならない。そういう部分でプロフェッショナルから放たれる言葉は
説得力がなければならない。
このテロップこの出し方ですと、○○だから○○だとおもいますよ。
ですからこういうバージョンも作って見ました。
どうでしょうか?
このテロップの出し方なら○○で○○だと思いますが。
おー素晴らしい。さすが○○さん。
このような形で監督さんに好印象を与えられれば次の仕事に繋がる可能性が出てきます。
そうなんです。ポスプロ業界はホスト業界に似ているんです。
入社する時に言われましたよ。この業界は水業界と一緒だと。
徹夜万歳。
厳しい話ばかりしてきましたが、そんなこともありません。
給料はかなり低いですが、CM編集に携わっていれば、昼、夜、贅沢な出前が届きます。
また、CMの完パケ後にはムフフがあったりするんですよ。
あるシャンプーのCM完パケ後には監督さんや制作さん計10名くらいで赤坂にいき、
1日で80万くらい使うという経験もさせていただきました。
あの時を越える日はまだ訪れたことはございません。
あんなバブリーな日もあるんだと。ものすごいですよ。想像を超える出来事ばかりでした。
また、芸能人を見れるというのもこの仕事ならではでしょう。
そんな経験を積み、2年経過した頃くらいには、
同期と僕の関係は、すっかり確立されて、
同期はしっかり編集者タイプ。
僕はお客さんとの付き合いがうまいタイプとして先輩に見られていました。
技術でも僕は負けたくないので仕事忙しくない時はかなり勉強していたと思いますけどね。
怖い先輩いわく、僕は松坂のようなタイプで波が激しいといわれました。
調子いいときはホントによく出来るんだが、失敗するときはホントにお前つかえねーなと。
自分でもコントロールできないので困ったものです。
このポスプロの現場にいて、色々な監督にも会いましたし、
色々なクライアントにも会いました。
いつしか、色々なお客さんの名刺集めが好きになってましたよ。
この仕事辞めても会いたい人がたくさんいます。
相変わらず忙しいようで。。。なかなか会えませんけどね。。。。
マスク抜き。好きです。合成好きです。映像好きです。
会社を辞めるといったとき、お前にはホントに期待していたと言われた時には
ホントに悔しさが溢れ溢れ涙が溢れました。
夢と現実。
結婚と未来。
嫁と子供。
病気と死。
色々なことを考えました。
ホントに考えました。
コレでもかというくらい。
好きな事を辞めたくない。
でもちゃんとした生活を送りたい。
結婚すれば相手に迷惑をかけるだろう。
その結果、僕は辞めることを選択しました。
この選択を選んでいなければ、僕はハリウッドに行っていたかもしれません。
そんなことはわかりませんが。。。
僕の師はハリウッドにいます。
僕はポスプロを辞めた後、映像編集ソフト開発会社に転職しユーザーインターフェイスデザイン、
パッケージデザイン、WEBデザイン、広告デザインなどデザインにかかわる部分、企画などを担当した。
このときは素晴らしい給料、福利厚生、仕事内容でガッツリ稼いでいた。今よりよい給料でしたね。
彼女と別れたときは、ここで貯金ためて海外に留学して本気でハリウッド目指そうと思った。
留学相談会までもいった。本気で師に憧れ、結婚しない覚悟を持ってハリウッドを憧れ、
一度はあきらめた夢もまた目指そうとした。
しかし、僕の夢は同窓会によってまたしても挫折へと変わる。
地元の同窓会で会った彼女と付き合うことになる。
それが今の奥さん。
でも僕のクリエイター魂は、常に変な波を発生させる。
その時にいた会社でも立派な給料をもらえ、生活するには申し分ない
社員とも仲がよく、社長とも仲良くさせてもらいバンド練習を一緒にしたりもした。
上司はホントに僕の事を心配してくれた。
上司は僕を信じてくれていた。
伝説の社員になってくれるということを。
伝説の社員とは、当時働いていた財務トップの人が僕に貸してくれてくれた本に載っていた話。
記憶に残る社員にナレ。
若い頃は自分への投資が大事だ。
失敗を恐れてやらないのなら失敗したほうがよっぽど成長する。
全てのものに意味があり、その意味を常に考えろ。
僕のクリエイターとしての熱い気持ちが
現状では満足しない環境となっていた。
更に上を目指したい。
そんな気持ちが高くなる。
安定がここにはあるが刺激はない。そういった感じ。
みんなをアッと言わせることがしたい。
みんなに感動させたい。
ずっとこの部分は変わっていないのだと思う。
エンターテイナーでいたい。
そんな気持ちが、映像とWEBの連動に興味が向いていた。
映像は好きだ。
独立、会社設立、そんなものにもとても興味があり、
このとき、色々な人達とmixiを通じてあったりしていました。
かなり多くの人に会いましたね。こんな行動力が自分にもあったんだと今では思います。
映像好きな僕。
ただ、映像は一方的にメッセージを伝えるもの。
よりインタラクティブにより双方向に
映像を通してユーザーとのやり取りをしたい。
そんな気持ちが生まれ、FLASHの道で活躍したいという気持ちが芽生えました。
そこで、Flash業界で有名なタナカミノル氏の下でアルバイトとして働かせていただく道を選びました。
また、この業界もCMほどは厳しくはないものの厳しい業界でした。
CM業界では、全てが分業がされているのですが、
ここでは全てを自社でやります。
企画から、スケジュール管理、コンペ、制作。
自社で企画できるということでブレストやプレゼンなどはとても力を入れてやっているなと思いました。
伝えるということ
その大切さをいっぱい学びました。
このブログを続けることもそこで学びました。
セルフプロモーションの大切さ。
自分を売り込んでナンボの世界です。
CM業界と一緒です。
自分の名前を売って仕事をモノにするんです。
給料は以前の会社の約1/3です。
正直貯金を崩して働くといった感じです。
でもココにはお金には変えられないオモシロさがたくさんありました。
完全に研究室です。
研究家が集まる会社。
お金ではなく研究。
まさにアッと言わせることの出来る仕事がそこにはあります。
自分力もここにいればスゴイ身に付くことでしょう。
しかし僕は4ヶ月という短い期間で辞めました。
最後の日に、朝まで社長と二人で居酒屋で飲んだことを今でも覚えています。
給料も自己投資、授業料を払わないで学ばさせていただいてるという気持ちで
あまり額面には気にしないでいたのでしたが、
ただ、プライベートな時間までも仕事の領域が増えてしまうのが辛くて、
家庭を持ったときに相手に負担になるなというのがあって。
また、同じミスをしたんです。
今後、自分は技術を高めて、アッと言わせるモノを作りたいと
思っているにも関わらず、結婚ということを意識するとこの生活は辛い。
ネガティブな考えは駄目だと思いつつもいつもこの悩みにぶつかるのです。
ここで学んだこと。
・相手の事を思いやると自然と自分も認められるようになる
・クリエイティブは問題点を解決することだ
ただ新しい事や面白いことで問題解決していないものはいけない。
・何かのせいにする前に改善点を考えよう
人は大体自分に悪いことなどがあると何かのせいにしたがる。
それではなんの解決にもならないので、改善点を考えるように意識しなさいと。
・広い視野で物事を考えよう
・メールは相手の立場になって考える
・すべてのものの裏側には利がある
そういうところまで意識して様々なことを見なさいよということ。
・常に一人ブレスト
自分の頭の中で色々なワードを出したり結び付けたりして妄想を広げる。
・後悔やくただつ
後悔したところでなんの役にもたたず。だったら先のことを考えなよと。
・死ぬほどポジティブ
・出来ないをチャンスに変える努力。
そして最悪のマイナススタートがここから始まります。
ハワイで映像の仕事をするという話が流れました。
一社目のポスプロで働いている先輩が、ハワイで映像の仕事があると
言われ、もうこんなチャンスはないと引き受けたんです。
ハワイで5年働けば永住権をもらえ、そしてハリウッド。
コレはまさにチャンスの何者でもないと。
そして、彼女との結婚を考えていました。
一緒にハワイに連れて行こうと。そう考えていましたので。
いきなりハワイに引っ越すから彼女と結婚しますというのも
相手の親にも迷惑をかけると、親に挨拶に行き
結婚の意志を伝える。その時はまだフリーターです。情けない。
そうして、なかなかハワイの仕事の話が決まりません。
ほぼOKだったというのに、突如話がなくなってしまいました。
不景気ということで、日本人の雇用が差し押さえられていたようで、
日本人を働かせるくらいなら現地の人を採用しろみたいな話になってしまったようで話が流れました。
僕は、どうしてもお金が必要だったために、
mixiで以前知り合った人にメールをし、その人の会社でアルバイトでもいいのでさせて欲しいと。
そこで働きながら色々な会社の面接に行きつつ、
内定を数社もらっていて、その中の一社、上場している六本木ヒルズの会社なんですが、
面接時に対応してくれていたプロデューサーが一社目のポスプロの会社の海外支店とつながりがあったらしく、
海外で一緒に仕事していたという偶然にも奇跡なことがあり、
僕を気に入ってくれ、SPIを含め第5次面接の末に内定をもらった。
これからはモバイルでも映像ができるやつは強くなるぞ。とか色々言ってもらった。
気さくで良い人だった。
その人はソフトバンクがボーダフォンを買収した時の幹部だったらしいですぞ。
なぜモバイル会社いるんだと思いましたけどね。
で、ここで更なる分かれ道が訪れるんです。
今、アルバイトで働いている、mixiで知り合った社長の会社に残るか、六本木ヒルズに行くか。
まだその時は、社員は代表以外いなくて、アルバイト2名だった。
僕は、プログラムやりつつ、デザインやりつつ。
売り上げも微々たる感じで赤字の会社だった。
でもほんとに決断するちょっと前くらいから、働いている会社の成果があがってきて、
びっくりするくらいの売り上げを生み出すコンテンツとなった。
コレは悩む。安定を望むか、一寸先は闇。どうなるかもわからない会社に残って共に頑張るのか?
嫁は大丈夫なのか?俺一人の問題じゃないんだ。嫁にもその売り上げだって一時的なものなんじゃないのかと言われ
正直、六本木ヒルズだろ。と決断した僕もいます。ただ僕が抜けたときにサービスに与えるダメージは
かなり大きいというのもわかっていました。僕が抜けて万が一、サービスに問題がでたらどうするというのも
考えました。
すごく悩みましたよ。
彼女のお父さんにも心配させられない。
でも僕はその時、またクリエイターとして一発当てたいという気持ちが生まれ
このサービスでヒットさせるんだという気持ちの下、会社に給料の最低ラインを
要求しました。んで納得してもらったんで、その給料でまず一年やろうと僕は決めました。
もし一年後、どん底にいたとしたら、また転職活動すればよい。そんな軽はずみな感じで、
六本木ヒルズを断念しました。とても残念そうなメールをいただいた時にはとても申し訳ない気持ちになりました。
長い面接をして慎重に選んでいたのでしょう。
そして、現在、なんとも想像がつかないくらいの成長力で会社が急成長しています。
マンションの1室で開発やデザインをし、汚いトイレ、代表の口喧嘩。
今となっては懐かしさすら感じます。
僕がこの道をたどっていなかったら、僕もそうですが、会社は一体今どうなっているんでしょうかね。
とても不思議なものです。
マンションの1室から小さなオフィスに引越し、
そして、今日から大きなオフィスに引越し仕事が始まります。
僕は映像も企画もデザインも好きで、野球も好きで、
そして、今の会社で野球のゲームを企画してデザインして、
そして多くのユーザーさんに遊んでもらっています。
自分がしたかったのはこういうことだったのか?
アッといわせたい。多くのユーザーに感動を与えたい。
そんな仕事とは今のような仕事なのだろうか?
これが僕の叶えたかったことなのか?
いまいち、まだ実感が沸いていないのですが、
すこしづつ自分の叶えたい事に近づいているのではないかと
そう思って仕事をしています。
今、ゲームという部分に携わっていますが、
これは映像制作に近いものなのではないかと最近思っています。
主題(テーマ)
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原作(orネタ)
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シノプス(あらすじ) /設定(人物・タイトル等)
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プロット(話の運び)
↓
ハコ(起承転結を細かく分解構成) /伏線 ・かせ・売り
↓
シーン割り
↓
脚本
それぞれがしっかりしていないと薄っぺらなゲームになってしまいます。
伝えたいことがあったほうがよりゲームは面白くなるのではないかと。
僕の一社目にいた会社では、ゲーム「バイオハザード」のCGを制作していたという歴史があります。
このゲームはゲームから映画になりましたね。
そんなゲームを作りたい。
そんな大きな夢でももって今の仕事に望もうと思っています。
会社の売り上げなども気にしないといけないと思いますが、
僕は僕の中の夢として、
自分が作ったゲームの内容が映画化される。
これを目標にがんばりまっす!!
そしてハリウッド!!
夢はあきらめず永遠に!!
僕の道は一歩一歩前進!!
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
だいぶ長文になってしまいました。
今までの僕を赤裸々に書いてみました。
色々な人と出会い・別れ今のぼくがいます。
これからもs2worksをよろしくお願いいたします。
おやすみなさい。